こうして試行錯誤を繰り返し完成した、今にして思えば大きなECHORECであるが、当時のスタジオ機材としては革命的に小型だったのであろう。音楽シーンの中心がイギリスだった1960年代には、新鋭たちがこぞってスタジオにおいてあるそれを試していった。
BINSON社自体は50年代から自社ブランドでエコーマシンを製作し、スタジオでのレコーディングには普通のヴォーカルエコーとしては重宝されていた。
しかしながら、その存在を世に知らしめたのは、後にビッグネームとなるPINK FLOYDのファースト・アルバムと云われている。
まだアートスクールを卒業したかどうかの、シド・バレット、ロジャー・ウォーターズがファースト・アルバム「夜明けの口笛吹き(THE PIPER AT THE GATES OF DAWN)」に収められた “INTERSTEELER OVERDRIVE” をレコーディングする際、BINSONのECHORECを使用したという記録が残っている。
とはいうものの、この曲を聴いたことのある方ならば、記録が残っていると言われなくても、発振スレスレでも、あのツヤのある、太さのあるサウンドはBINSONのもの、一聴すれば納得できると思う。
当時サイケデリック・バンドと称されていた同バンドの代表的なサウンドを形作っていた四次元に飛び交うような音像のエフェクツこそ、このBINSONだったわけだ。
シド・バレットが去った後のPINK FLOYDも、後任として加入したデヴィッド・ギルモアとロジャー・ウォーターズにとっても、このBINSON特有のサウンドはフロイド・サウンドに不可欠なエフェクトとして、40年経過した現在も使用が確認されている。
PINK FLOYDの使用によって通常のエコーマシン以外の使用法を拡げられたBINSONであるが、イギリス内外のミュージシャンがこぞって入手したのは言うまでもない。
代表的なサウンドとしてはLED ZEPPELINのWHEN THE LEVEE BREAKS ドラムトラックや、70年前後のジミー・ペイジ。また後年のGRAND FUNK RAILROADのSHININ’ ONのイントロがECHOREC特有のものである。
つづく
by モウダ
- 2010.04.02 Friday